G君のAusbildung 3年目後期にあたる、実習最終成績をつけた時の話だ。
私の職場では、実習生自身が自己評価をし、同伴している主力教諭(=私)も同じく評価をし、それをAnleiterinと3人ですり合わせ最終的な成績を決定する。
ところがその予定日、彼が体調不良で休みだったので、事前にもらっていた彼の自己評価をもとに、私とAnleiterinで話し合った。
とても興味深いことに、G君と私がつける彼の評価は、毎回ほぼ一致している。それはとてもいい傾向であり、今回も例外ではなかった。
話し合いの結果、彼の成績は「2」となった。
とてもいい成績である。
でも私はすごく複雑な気持ちだった。
というのも、私が実習生だった頃、実習先での日々には常に全力を注いでいた。
それでも「2」をもらった時もある。
一方でG君は…何といえばいいのか。
やれば出来るのだけど、とにかくモチベーションがない。
仕事中にスマホをいじっている姿を何度見かけたことか。
彼から前向きな意欲を感じたことはほぼなかった。
彼は学校型Ausbildungの生徒なので、週に一回しか実習に来ない。休暇学童も働かないので、PIAの実習生に比べて接する機会も少ない。
性格が悪いとかではない。だが、「水曜日(G君が来る日)は子どもがもう一人いるようなもんだね。」と冗談を言ってしまうほどには、彼の自主性の無さには毎回私のエネルギーを削られていた。
私が全力を注いで結果として得た「2」と、彼がなんとなくやって得た「2」
プロセスも姿勢もまったく違うのに、両方同じ数字である。
でも、モヤっとした後すぐに気が付いた。
そんなの正直どーーーーーーでもいいのだ。と。
他人からの評価というのは、評価者によって基準が異なる。
特に保育士のAusbildungにおいては、実習生を評価する側も、必ずしもそのための専門的な研修を受けているわけではない。
他職種のように「Anleiter(指導者)」として特化しているわけではなく、現場の保育士が兼任することがほとんどだ。
そのため、評価のスキルや基準にもばらつきがあるのが現状だ。
何を重視するか、どこに引っかかりを感じるかは本当に人それぞれだと実感する。
自分はその成績と生きていくのではない。自分が積んできた経験と生きていくのだ。
これは学校を卒業した立場だからこそ言える話だと思うのだが、自分がやってきたことがすべて。
例えば、自分が苦労して計画して、実行したアクティビティ。
たくさん準備したのに、子どもたちの反応がいまいちで悲しかったプロジェクト。
子どもたちとの会話、子どもたちへの姿勢。
そういった一つ一つの経験が、自分の幅を広げていく。
「昨日の自分よりも良ければ、それでいい。」
これはドイツで常にチャレンジする身として、普段から心に留めている言葉だ。
同じ「2」という成績でも、その内側に詰まっているものは人それぞれ違う。
それでも私は自分の積み重ねてきたことに誇りを持っている。
成績という評価は通過点であって、自分にとって本当に大切な価値や成長は、自分が積み重ねた経験の中にある。と、私は思っている。
さて、成績をつけた際にもう一つ話し合った大事なテーマがあった。
『この実習生の、保育士の適正についてどう思いますか?』

この問いについて、私たちは少し話し合わなければいけなかった。
実はこれ、かなり重要で、私たちの評価によっては学校に連絡を入れることが必須とされている。そうして進路に関わる決定を下すことにもなりえるのだ。
G君の場合、まぁかなり正直に言うと「全く向いていない」とまではいかないけれど、明らかに適性が高いわけではないだろう、という見解に至った。
成績はすぐにAnleiterinからG君に伝えられ、彼はかなり満足げな様子だった。
そりゃそうだ。あの注力度でこれくらいの成績なら、楽なもんだろう。
なぜ彼がそんないい成績をもらったのか。そこにはいくつかの事情がある。この点については、別の記事で詳しく書きたい。
もちろん、今まさに実習を頑張っている人たちにとって、成績が大事なことはわかっている。
私自身も実習生時代に周りから「卒業したら成績なんて関係ないよ」と何度に言われたことか。
そしてその度、「そうは言っても…!」と心の中で悶々としたことか。
でも実際卒業した自分は今、「その通りだった」と実感しているのだ。
人は社会的な生き物。周りと自分をつい比べてしまうのは自然な事。
でも、極論を言うと人生は結局、自分との闘いだと思っている。



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