【ドイツで学童保育士】やっと仕事が落ち着いてきた今、この怒濤の3か月を振り返る。

学童保育士

ここ最近、仕事についてブログ記事を書くことができなかった理由がいくつかある。

 

まず、毎日が濃すぎて、ブログを書く余裕がなかった。

仕事でいっぱいいっぱいになっていて、プライベートとのオン・オフをつけることが最優先になった状況だった。プライベートな時間にブログ記事を書くためにもう一度仕事のことを思い出し、すべての出来事を日本語に訳し…という作業をする気力がなかったし、正直、それをするべきでもなかったと思う。

 

9月の新学期、私は新米なので、もう一人のFachkraft(専門職スタッフ)と2人で1クラスを受け持つことになった。それに伴い、私たちに割り当てられたのは人数が多い大型グループ、1年C組。

ところが、まさかの展開で、その同僚は1年生が入学した週の初日から3週間、病欠で仕事に来なかった。一番大切で、人手が必要な時期なのに、彼女はいなかった。まあ、ドイツではよくある話ではあるけど、このタイミングでこれをされるのは、正直、本当にきつかった。

 

私はまるで冷たい水の中に突き落とされたような状態で、Azubi(実習生)のG君と2人で、大型グループの1年生のために奔走することに。

 

幼稚園から来たばかりの子どもたちはとても幼くて、怖がりで、最初は一人では何もできなかった。当たり前だ。先月までいた小さい幼稚園とは何もかもが違う。巨大な校舎、大きなクラス、年上の子どもたち…。自分がどこにいるのか、何をしているのかもよくわからない。子どもたちがいっぱいいっぱいなのが目に見えた。

 

そんな混乱真っ最中の子どもたちに、私は母親のように必要とされ、しがみつかれて離れない状態だった。

子どもたちが学校や学童に慣れるまで時間がかかり、その間はわからないことがあるたび、不安があるたびに泣いていた。

 

一度、自分の目の前で3人の子どもが同時に大泣きしていた時は、「もう、マジで勘弁してくれ…!」と思った。一年生って、こんなに手がかかるのかよ!!!

 

でも、それだけならまだ全然大丈夫。どうにでもなった。一年生に手がかかるのはわかりきっていたし、仕方がないことだから。

 

ただ、追い打ちをかけたのが、うちのクラスにいるとある2人の子どもだった。とんでもないVerhaltensauffälligkeiten(行動問題)を抱えていて、ほぼ1対1の対応が必要だった。この2人への対応が、私とAzubi君の気力を本当に削り取った。

 

1人は息をするように嘘をつくタイプで、「やりたくない」「逃走する」といった感じ。もう1人は、小学校に入学する準備ができていない状態で、現状にいっぱいいっぱいだった。すべてがその子にとって多すぎる状況だったせいか、気が狂ったように叫んだり騒いだりしていた。

 

担任の先生とミーティングした際、彼女も「こんなに手がかかる子どもは今まで受け持ったことがない。正直なところ、何かがあるとしか思えない。授業にならない」と、かなり絶望していた。午前中のクラスはもっと人数が多いのに、担任の先生が一人で見ているなんて…。

 

もともと人手不足だったうえに、その2人の子どもたちへの対応が加わり、本当に大変だった。この子たちにとってここは正しい場所ではないから、後々、どこか別の施設へ移ることになるだろう。でも、今は私とAzubi君が文字通り付きっきりで対応しなければならず、他の子どもたち、つまり本当の意味で私のクラスの子どもたちの面倒を見る時間がほとんど取れなかった。

 

その事実が極度のストレスとなって私に襲いかかり、精神的にはかなり早い段階で限界に達していた。この時にはもう、子どもたちと過ごす時間を楽しむ余裕がなかった。

 

Azubi君は学期始めだったので9月末まで毎日実習に来てくれていたけど、10月からは学校が始まり、彼が来る頻度は週1回に減った。ちょうどその頃、新しいFachkraftがうちのグループに配属されることになった。(病欠中だった同僚はあまりにも頼りないため、グループから外された。)

 

新しいFachkraftに数日かけて仕事を教えた後、私は仕事を休むことにした。

 

仕事を休んで3日目に、かかりつけ医に診断書をもらいに行った。事情を説明しようと口を開いたのだけど、出てきたのは涙だった。

 

「私、もう無理です」

そう言いながら、これまでの状況を説明した。

 

かかりつけ医は私の話を目を見て聞きながら、「あの小学校は大変だろうね。職場を変えることは考えた?」なんて、意外と個人的な意見も言ってくれた。そして、「2週間、診断書出しとくよ。少し休んで、リフレッシュしないとね」と言ってくれた。

 

気持ちを200%注いで働いていた私は、突然、2週間の休みをもらうことになった。

 

このことは、仲のいい同僚や上司には正直に伝えた。みんな心配してくれて、労いの言葉をかけてくれた。人手不足の中で私が休むことになり、申し訳ない気持ちもあったけど、その気持ちが少しだけ軽くなった気がした。

 

 

いろいろ自分の気持ちを分析してみて、今回再びメンタルがやられてしまった理由に気づいた。それは、Ausbildungの最終章がしんどすぎたこと、夏休み中の休暇学童があり得ないほど大変だったこと、そして新学期の極度の人員不足とうちのクラスの問題児2人が要因だった。そしてもう一つ、友人関係の中で不幸があり、それも一部要因として重なっていたと思う。

 

結局私は夏休みに完全にリフレッシュできておらず、夏までのストレスを持ち越してしまっていたのだった。

 

新学期、私は冷たい水の中に突き落とされるような状況だったけれど、結果的に自分もまた新しい同僚に同じことをしてしまったのだ。

その同僚は全く新しい職場で、配属3日目から私の代理として、1人でグループを率いなければならなかった。それも、100倍手のかかる1年生の、いちばん大変な時期だ。後になって聞いた話だが、彼女も当時いっぱいいっぱいで泣いてしまったらしい。

 

2週間の休養

2週間の休養中、最初の数日は家から出ることすらできなかった。スーパーに買い物に行くのも辛く、顔が硬直して笑顔になれない状態だった。(こんな状態でよく仕事していたなと、今でも思う。)

親友たちに連絡して、少しずつ外に出るようにした。親友たちは私を外に出そうと毎日のように誘ってくれた。私が「テンションが上がらなくて、一緒にいても楽しめないかもしれない」と言っても、ある友人はこう言ってくれた。

「そんなカピバラでもなんでもいいよ。私は一緒にいたい。」

この言葉に救われた。

 

フライブルクには私の居場所がある。愛する人たちがいる。そして、その愛する人たちに私は愛されている。このことを改めて感じられた時間だった。

 

休養中、職場を変えることも考えた。それでも、少しずつ気持ちが前向きになっていき、若干おっくうに感じていた仕事にも2週間後、復帰することができた。

 

復帰当日

復帰当日、同僚たちと熱いハグを交わし、みんなが「おかえり」と迎えてくれた。

 

そして、うちのクラスの子どもたちの反応…。彼らは私を見た瞬間、目を大きく見開き、笑顔になり、こう叫んだ。

「カーーピーーバーーラアアアアアア!!!!!!」

私のもとに飛び込んでくる子どもたち。抱きついてくる子どもの数は増え、気づけば私を中心に子どもたちが重なり、大きな塊のようになっていた。

その時、子どもたちを抱きしめながら、私はこう言った。

「ただいま。」

 

その後、新しい同僚は案の定ダウンしてしまい、1週間仕事を休むことになった。その間は私が再び1人でグループを見ていたが、彼女が復帰してからは、仕事の負担が分散され、かなりストレスが減ったように感じる。

仕事を分担できることで、自分の中に余裕が生まれ、その余裕を子どもたちに還元できている。今では、子どもたちを本当に「かわいい」と思えるようになった。

 

問題の2人のその後

問題の2人についても、少しずつ進展があった。

1人はだいぶ落ち着いてきていて、HPF(特別支援学童)に移る手続きが進行中だ。

もう1人は現状維持だが、Sonderpädagogin(特別支援教育士)による観察を申し込んでいる。同時に、両親には小児科で診断を受けてもらうよう伝えているものの、これがなかなか簡単には進まない。

問題解決にはまだ時間がかかりそうだが、状況は少しずつ動いている。

 

私は声を大にして言いたい。

なぜこんなVerhaltensauffälligkeiten(行動問題)を持つ子どもを、普通の小学校に、あたかも「普通の子どもですよ」と言わんばかりに何食わぬ顔で送るのだろうか。

 

幼稚園よ、両親よ。

子どものためにも、子どもの周りの他の子どものためにも、さらには私たち小学校側の教育者のためにも、よく考えてほしい。

間違った場所に到着してしまった子どもがどれだけ大変な思いをするのか。その子どもを受け取った側がどれだけ大変な思いをするのか。

 

こうやって教育現場は、負のスパイラルの中で削られていくのだ。

ドイツは幼稚園から小学校への引き継ぎシステムを、もっと改善すべきだと強く思う。

 

9月末の危機

9月末の危機的人員不足は、今の職場で5年働いている私でもいまだかつて経験したことがないレベルだった。

9人ものFachkräfte(専門職)が病欠し、その状況で通常の学童を提供しようとするうちの事務所。これに対し、同僚たちから過去に例を見ないほどの苦情が寄せられた。

私たちの間では、ほぼ「ストライキ寸前」の空気だった。

その結果、対策として、2日間だけ緊急学童が行われた。

(具体的には、14時まで申し込んでいる子どもは授業後に帰宅、17時まで申し込んでいる子どもだけが学童に来られるという形だった。)

 

振り返る3か月間

11月も終わりに差し掛かり、最近は本当にグループも子どもたちも、私自身も安定してきた。

だからこそ振り返ることができる、この嵐のような3か月間。

 

私の仕事への思い

大変な分野で仕事を得てしまったなぁ……と、つくづく感じる。でも、これは私の人生の仕事だ。

大変だけど、この仕事で私は誰かを幸せにすることができるし、私自身も幸せになれる。

大変だけど、私はこうしてこれからもこの仕事をしていくのだと思う。

大変だけど。(笑)

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