私のブログをいつも読んでくれている方にはおなじみかもしれない、D君。
彼は私と同じAusbildungの学校に通う19歳の青年で、現在学校型Ausbildungの3年目の終盤に差し掛かっている。
そのD君が、なんと卒論で「1.5」の成績を取ったという。
本人のスタンスはいつもこんな感じだ:
「4でもOK。3なら上出来。2なんてもらえたら超ハッピー!」
だからこそ、「1.5」は本当に快挙だ。
「自分が一番驚いてる。だって俺、ドイツ語あんまり得意じゃないからさ。1.5なんて夢にも思わなかったよ。」
実際、卒論で1台の成績を取るのは簡単ではない。
私のクラスにも優秀な生徒は多かったが、2以上をもらったのはほんの数人だった。
「しかも俺、提出の5日前に図書館行って本集めて、そこからガーって一気に書いたんだよ!」
…マジか。よーやったな。
「ChatGPT使わなかったの?」
「使わなかった。」
逆にそれに私は驚いた。
このとき、ふと考えたのだ。
先生たちは、「ChatGPTを使っていない=本人の言葉で書かれている」と分かる卒論に、より高い評価を与えているのではないか?
たとえ文法に少しミスがあっても、それが「自分の言葉」なら、機械的に整えられた文章よりも評価されるのかもしれない。
私のクラスにも、ChatGPTの存在を知らずにすべて自力で書き上げた学生がいた。
しかもドイツ人ではなく、ジョージア出身の子だ。彼女もまた「1.5」をもらっていた。
彼女は当初、選んだテーマについて先生にこう言われたという:「dieses Thema ist sehr trocken(このテーマは退屈だね)」
でも彼女はそのテーマを「Wissenschaftlich(理論型)」ではなく、「Kasuistik(事例研究)」を選び、実習先の子どもを観察し、理論と結びつけて卒論を書いた。
結果として、他にもKasuistik形式で書いたクラスメイトたちは、2以上の好成績をもらっていた。
そして、選んだ科目も重要だった。
D君が選んだのは「Kunst(美術)」の科目。
美術と教育が交差するテーマで、実際に子どもたちとプロジェクトを行う必要がある分、内容は具体的で、表現も豊かになる。
その「魅せ方」も、先生たちにとっては新鮮で印象的だったのかもしれない。
でも、私がなんとなく感じているのは、卒論を毎年読む先生方は、似たようなテーマに正直、飽きているのではないかということ。(例えば、BEF1のSprachliche entwicklungなんかは典型的)
だからこそ、唯一無二のテーマを選び、それを「自分の言葉」で丁寧に伝えることが、何より強いのではないかと思う。
先生を“ワクワク”させられるかどうか。
これが、評価を左右する大きな鍵になっているような気がする。
それに、美術というテーマそのものが視覚的・感覚的に伝わりやすいという特性もある。
文章だけではなく、見せ方・構成・雰囲気すべてを通して、読み手を引き込む力があるのだ。
私がこの経験から感じたこと
• Wissenschaftlich(理論的な論文)よりも、Kasuistik(実践に基づく事例研究)の方が評価されやすい傾向がある。
• ChatGPTを使って整った文章よりも、少し文法にミスがあっても「自分の言葉」で書いた論文が好まれる可能性がある。
• テーマ選びと「魅せ方」も重要。読み手(先生)がわくわくするような内容にすることがポイント。
この3つが、今の卒論ではとても大きな意味を持っているよう、私は何となく感じたのだった。
まぁ、いい成績をもらうために書くわけではないのだが、やっぱり時間と労力をかけてやるものには、評価されるための分析は必要だと個人的に思っている。
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