先日の仕事中、急に上司に頼まれ、その日に退職する同僚に贈る花束を買いに行かされた。
予算は10€。普段花束を買わない私はドイツでの相場がよくわからない。
店に着き覗いてみると、既に出来上がっている花束がある。それはどれもカラフルで、色紙で包まれていて私のイメージ的にピッタリだったが、30€以上で無理だった。
自分で花を選んで花束を作ってもらうしかないか‥。と見渡すと、メインになりそうな花はチューリップしかない。しかもいろんな色がミックスされているような気の利いた束などなく、単色のみだった。
黄色のチューリップの束をレジまで持っていき、『これで送別用の花束を10€以内でお願いします。』と言うと、『チューリップだけで8€だから、少ししか追加できないけど‥』と、完成したのがこちら。
え、黄色と緑しかないやん。包装紙も特別感ない!
送別用の花束にしては、シンプルすぎて少し寂しくないか?
でも仕方ないよね、10€の予算という話だし。いやーでもこんなんで本当にいいのだろうか‥。身銭切ってでももう少し他の花とか追加して華やかにしてもらった方が良かったかな‥(退職するの私の好きな同僚だし)などと考えながら職場に戻る。
おつかいを頼んだ上司に見せると、『わーキレイ!10€でこんな素敵な花束を買ってこれるなんてすごい!どうもありがとうね。』
とのことで、大満足そうだった。彼女は一体どんな花束を想像していたのだろう…。
ホッとしたのと同時に、そうそう、これがドイツで求められているラインだ。と実感したのだった。
私たち人間は、今まで見てきたもの、経験から出来ている。
それに加えて、私たち日本人は相手をがっかりさせないようにしなきゃとか、相手の求める更に上を提供しなきゃ、とか考えてしまう。
ドイツではそんなこと求められていない。与えられた条件の中でやればいい。
今回は、私の頭の中の送別会用の花束のイメージとこの10€のチューリップの花束が合致していなかっただけの話。
ドイツ人は、この花束で十分喜んでくれるのだ。それ以上は必要ない。もし私が身銭を切って、もう少し華やかな花束を贈ったとしても、同じように喜んでくれただろう。でもそれは私の自己満足となる。
これは、自分がどれだけしてあげたいか、との戦いとも言えるだろう。
完璧主義が強ければ強いほど、自分がしたい・してあげたいレベルが高くなって、本来求められているレベルからかけ離れてしまうことが多い。
ドイツで色んな経験を重ね、その境界線が早く理解するほど、無駄な努力や考え事をしなくて済む。
私たちは基本がハイスペックだから、そんなに気にしなくて大丈夫なんだけどなー。と、頭では理解しているつもりでも、やはり日本人的感覚が抜けない私だった。
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