とても個人的な話を、今日はさせてほしい。
子どもの頃から、バレーボールの試合を見るのが大好きだった。
そんな理由で、高校では迷わずバレー部に入部した。けれど、それが運の尽きだった――
少なくとも、つい一年前までは。
私が通っていたのは都内の私立高校。バレー部は弱小で、部員は極少人数。それなのにコーチは元セミプロ選手で、練習はとにかく鬼のように厳しかった。
放課後も週末も学校の休暇も関係なく、毎日毎日、練習に明け暮れる日々。なのに、全然勝てない。報われない。
途中からはほぼヤケクソだった。根性論に似たプライドと、「辞めたら大学進学の内申に響きそう」そんな理由で、惰性で続けた。
だからアニメ『ハイキュー!!』を見たとき、最初に共感したのは、もちろん月島。
「彼しか理解できない!」と、心の底から思った。
でも、残念ながら私は彼のように、途中からバレーの面白さに目覚めることはできなかった。
高校を卒業してからは、バレーボールには一切興味が持てなくなっていた。当たり前だ。
「一生分楽しくないバレーボールした」とも思ったし、「高校時代とバレー部での日々」は、私にとって“思い出したくない過去”となって、記憶の奥底に仕舞われていた。
もちろん、日本の部活動にも良い面はある。
スポーツや文化活動を通じて得られる経験は多いし、最終的に続けるかどうかは自分の選択だ。
ただ、明らかにデメリットも存在している。
例えば顧問である教員の負担が大きすぎることも問題だけど、私が一番強く問題視しているのは、生徒の余暇時間の無さである。
16~18歳という、若くてエネルギーに満ちた時期に、「自分とは何者なのか」という根源的な問いに向き合う時間が、日本の教育では軽視されすぎている。
生徒が部活に時間を取られすぎて、自分の興味や関心を探る時間が持てないことは、後々の人生において大きな痛手を残すものだと思っている。
現代の日本ではどうなのかわからないが、当時は私のように、部活を「辞めたい」と感じながらも、内申への影響を気にして続ける生徒は、決して少なくなかったと思う。
「辞めたら不利になる」という空気が、生徒たちの自由な選択肢を奪っていたと思う。
本来は、自分の時間をどう使うかを自由に考えられる社会であってほしいし、辞めたことで得られる時間を、自分の成長のために活かせる環境がもっと広がってほしい。
もっと柔軟に、多様な価値観のもとで、学生が辞めることへのネガティブな思考を持たずに決断でき、作り出した時間で「自分の幅」を広げられるような選択肢を持つ必要があると、私は個人的に思う。
私自身、当時のあの時間が本当に意味のあるものだったのか、ずっと疑問を抱いてきた。
それでも、34歳になった今、ドイツでビーチバレーを楽しんでいる自分を見ていると、あの時間にも意味があったのかもしれないと思えるようになった。
背の高いドイツ人男性たちに混じって、自分が思う以上にちゃんとプレーできることに気が付く。
趣味としてのバレーボールだから、プレッシャーを感じることも少なく、のびのびとプレーできる。
そうすると、少しずつ自分の実力を出せる気がしてくる。とにかく楽しいのだ。
「カピバラ、うまいね〜!」なんて褒められたり、積極的にゲームに誘われたりする。
その中には、なんと強豪国の元代表選手だった人もいて、一歳差の彼とは気が合い、試合の合間に雑談するようにもなった。
同じコートに立ち、ネット越しにその元代表選手と対峙する。私のサーブを彼がレシーブする瞬間があるなんて、想像もしていなかった。彼の芸術的とまで言えるテクニックを間近で見ることができるのは、本当に贅沢だと思う。
それに、私がいいプレーをすると、にこっと笑って「いいね」と言ってくれたりするのだ。
バレーボールができて良かった、本当に楽しい。
――誰が、そんな未来を想像できただろう。
人は、自分がしてきたことのどれが、いつ、どこで、どう役に立つのかを予測することなんてできない。
当時は意味がないように思えた時間も、報われないように感じた努力も、巡り巡って、思いがけない場所で自分を助けてくれることがある。
だからもし、あの頃の自分にひとことだけ伝えられるとしたら、こう言いたい。
「バレーボールができることが、大人になってからきっと役に立つよ」

FR1
意味のない日々なんて、きっと本当はないんだと思う。でも、その意味に気づけるのは、ずっと後になってからかもしれない。まるで、土の中でひっそり育ってた根っこが、何年もかけて花を咲かせるみたいに。
本当に、日本の部活文化には改善の余地があると思っている。
だけど、あの時辞めずに最後まで続けた自分を、今は素直に褒めてあげたい。
今は、それだけでいい。
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